ポイント 交響曲第2番の日本のお家芸復活のリンクについて
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日本のお家芸復活
かつては日本のお家芸といわれていた競泳。しばらく不振が続いていたが、前回のアテネ大会から、復活してきた。
そのアテネ大会で金メダルを取った平泳ぎの北島選手が2冠で2連覇達成。
それも片方は、世界新記録の豪華おまけ付き。
古くは「前畑ガンバレ!」で有名なベルリン大会から。
競泳の中でも特にこの平泳ぎが、一番メダルが多いのではないだろうか。
自分が得意だから、そう思っているだけかもしれない。
このニュースを聞いて、久々に昔のことを思い出した。
平泳ぎが得意、というよりも私の場合は平泳ぎしかできない、といった方が正しい。
一応クロールや背泳ぎもできないことはないが、はっきり言ってできると言うほどの代物ではない。
しかし、ナゼか平泳ぎだけは本当に得意だった。
中学生時代25Mだったら、市や県の大会レベルのラップであった。
ただし、大会に25Mなんて種目はないが・・・・・・・・
これはそんな中学時代の話である。
どこの中学校でも、クラス対抗の競泳大会なんて言うものがあると思う。
私の母校にもあった。
もちろん私は平泳ぎの選手であった。
個人種目は50M。
私には長い距離だった。
もちろん泳げる距離ではあったが、持久力が皆無の私は失速してしまうのだ。
普通は50Mのタイムはどの種目であれ、25Mのタイムの1.8倍程度。
でも私の場合には2.5倍近く。
まぁそれでも、何とか上位には食い込めたが、優勝の経験はなかった。
3年生の時、自由形リレーの補欠になった。
たしかアンカーだけが50Mで、他は25Mだったと思う。
メンバーは5人。
母校のルールでは、水泳部員は大会運営にまわり、競技に出場することはできない。
しかし、水泳部員以外でも速いやつはいる。
スイミングスクールなどで本格的にやっていた連中だ。
とは言っても、一クラスに5人もそんな連中がいるわけではないから、そこそこ速い生徒が選手になる。
2年生までは、クロールばかりで選手を選んでいたために、補欠にも当然入れなかった。
でも3年生の時は、自由形なんだからクロールにこだわる必要はないことに気づいたやつがいて、平泳ぎの私がメンバーに入った。
そして大会当日、メンバーの一人が風邪か何かで出場取りやめ。
補欠の私に出番がまわってきた。
私も種目別をキャンセルして、リレー1本に的を絞った。
たしか第3泳者だったと思う。
私が飛び込んだ直後、会場は騒然となったそうだ。(本人は水中だから聞こえない)
そりゃそうだ。誰しも自由形はクロールしかないと思いこんでいるわけだから。
それがいきなり平泳ぎ。
結果は優勝こそ逃したものの、9クラス中2位か3位だったと思う。
少なくとも私が順位を下げるようなことはなかった。
因みに当時の私の25Mのタイムは、18秒台前半をコンスタントに出していた。
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Category 日記